プロフィール(2208更新しました。「経歴」(自伝風))

1970年、大阪生まれ。

ブルース、フォーク、オールドジャズをベースとした音楽性に関西ブルース・シーン(憂歌団、有山じゅんじなど)からも強く影響を受けるギターリスト、ソングライター、パフォーマー。

リゾネーターギター・アコースティックギターの名手でありながら、軽やかなMC・コミカルな楽曲を前面に芸人顔負けのステージングをこなす。

また、サポートギタリスト・ウォッシュボード(洗濯板)プレーヤーとしても、数多くの有名無名ミュージシャンとの共演・レコーディング・音楽イベントに参加。

<経歴>

①プロローグ(幼少期)

・少しおませな友人の影響、親父のレコードを聞いて、音楽に興味を持ち始めた中学2年生の夏、父親が入院したため夏休みの1ヶ月間を家業の手伝いで棒に振り、バイト代(?)としてギターを手に入れる。

本当はドラムセットが欲しかったが、値段を聞いた両親が泣きそうな顔で「この家のどこに置く場所があるの?」と抵抗したため、1万2千円の中古のYAMAHAのレスポールコピーモデルで我慢。ギターアンプは親戚から調達。

・中学3年時、校内の文化系クラブの発表会でバンドデビュー。高校時代は、硬式野球部に所属しながら同級生とバンドを結成して、文化祭・公民館での手作りライブに出演。

ただし、終始一貫してドラム担当。理由は、ドラムに憧れていたことと、学校内・同学年どころかクラスに自分より早弾きのできる友人が複数いたため。

余談だが、こう見えて(弱小校ではあったが)エースで4番で主将であった。

・大学1年生の夏に野球を引退。名門大学の硬式野球部に入部するも、上下関係の厳しさからかイップスにかかってしまい、先輩のかわいがり(?)のターゲットになり、同級生の冷たい視線にも耐えきれず・・・退部。

大学2年生から、軽音楽サークルにはいり念願のギタリストデビュー。ただし、早弾きコンプレックスから「本職はドラム!」と言いつつ、(早弾きせんでもいいからと)アコースティックギターに徐々にシフトする。

・大学卒業・就職にて、音楽活動いったん引退。3年間は、草野球と麻雀・ゴルフに専念しつつ、ボーナスが出るたびに比較的高額のギターを購入しては部屋で眺めつつ、ボケ防止程度にポロポロと弾く日々を過ごす。

②京都でTとの出会い(1年間のギター修行)

・就職後の沈黙の3年間であったが完全に引退状態というわけではなかった。会社の先輩にアマチュアとは思えない凄腕のジャズギタリストがいて、手ほどきを受けたり、サイドギターでライブに参加させられたりすることもあった。また、京都でバーを営む学生時代のバンド仲間が、毎月第1土曜日に(今で言う)オープンマイクを始めた事によって、不定期に人前で演奏することもあった。いずれにせよ、当時を振り返ると「人前であんな演奏してたんか!?」と赤面するばかりである。

・1995年5月、先述の京都のバーの友人から「先月、面白いやつが飛び入りしに来て、今月も来るみたいやから紹介したるわ!ギター持って来いよ!」と電話が入る。3つ年下で、自信満々でイケイケでどことなくカリスマ性があって、どう見てもうさんくさい男(以後 T)の演奏に衝撃を受けた僕は、人見知りにも関わらず声をかけずにはいられなかった。たまたま趣味志向が一致した僕たちは初対面で意気投合し夜明けまで語り合うことができた。

Tは、音楽修行のため単身アメリカに渡ったが、不法滞在で強制送還(だったかな?)直後で、「俺はバンド作って、プロになってビッグになってやる。それまでの間、この町で『流し』やりながらシノがんとな」「ビッグになるには、唄で勝負した方がいいと思っている」とビジョンを語り出した。何を思ったのか僕は「それやったら、軌道に乗るまでの間コンビ組んで一緒にやらない?俺に横でギター弾かせてくれない?」と発作的に言っていた。

T「あんたのギターは、雑でリズムがなってないから一緒にやるのは無理やな。でも、そこそこ器用に弾けるみたいやから、こじんまりしたところで一緒にやる分にはかまへんかな。でも今すぐは無理やで!毎日2時間練習すると約束するんやったら、やってあげてもかまへんけど」と。そんな上から目線の発言にも関わらず、「やります!仕事があるから毎日2時間は無理かもしれへんけど、1時間しかでけへんかったら次の日に3時間やる、でええかな?」と後先考えず即答。                        T「分かった。じゃあ明日、家(うち)に来てくれる?とりあえず、メトロノーム買いに行こ!で、人前にでるまで3ヶ月ほど様子見な」と・・・。かくして、3歳年下のうさんくさい男に弟子入り同然で、ギターにのめり込むことになったのであった。

・今では考えられないぐらい素直な当時の僕は、平日は彼の指示通りの練習方法で1日2時間練習のノルマを課し、身体に染みついた悪い癖を取り除くべく、イチから基礎練習・リズム練習を開始した。毎週末の夜中には、知り合いの喫茶店を借りて、彼とリハと称して、レッスンを受ける。自分でも驚くほど日に日に上達していく僕は合格を勝ち取り、3ヶ月後にはTとのブルースデュオでライブデビューを果たす。(初の大きなライブは、元クールスのジェームス藤木さんの前座であった)

・Tと出会って以降、多く刺激的な経験をし、濃密な時間を過ごした僕は、すっかり音楽・ギターにはまっていたわけだが、わずか11ヶ月後に突然の終焉を向かえる。ある日いつものようにTの家を訪れると明らかに潰れてしまったしゃがれ声で「ふっさん!(僕はTにこう呼ばれていた) 俺音楽辞めるわ!悪いけど解散や!」「俺いつも河原で発声練習してるやん?先週、気合い入れて少し長めに練習したら声潰れてもうてん。この程度で声潰れるんやったら、俺音楽向いてないと思うねん。アカンわ!」と。

・かくして、いきなりハシゴを外された僕は路頭に迷うこととなったのであった。  つづく・・・

※彼とのエピソードは枚挙にいとわないが、割愛します。機会があればそのうち。